「無事に帰宅しました!」はいいとして、この「オミクロン禍」で何で帰国したんだ、そういうやつがいるから市中感染が・・・という話はあると思うんですよね。この手の話は宗教議論的なところもあるので、自分が必ずしも正しいとも思わないのですが、今回の目的は下記だったということだけ、私的に記録しておきます。(これがないと、何で隔離ホテルにジンファンデル持ち込んでいるんだ、みたいな話だけが残っちゃうので)
親父よ、安らかに眠ってくれ。
真歌も立派に大きくなって、中学受験の歳になりました。俺は公立でもOKとも思いましたが、しっかり勉強したいということで、毎日深夜まで頑張って英語で勉強しています。親父も結構英語を勉強したけども、結局出来るようにはならなかったので、英検1級も受かったので、真歌の勝ちですねw
受かったら家族として日米にどう分布するのかはゆっくり考えます。
母も元気そうで良かったけど、当然のこととして歳を取りましたね。ただ、ヘルパーの仕事もしていますし、畑まで荷物持って歩いたりしていますし、まだまだ健在です。畑も、大きいブロッコリーなんかが出来ているし、地主さんはいつものようにネギや里芋を山のようにくれました。こういうのは寒川の本当にいいところですね。
これからよりうちが暮らしやすくなるように、切れ味のいいすりおろし器とかふかふかなタオルとかを母に買って残していくつもりです。
尚子は日本に帰ってから、美味しいもの食べて、熊澤酒造のお酒飲んだりして、健康そのものですw 真歌の勉強や帰国のもろもろを take care してくれて感謝感謝です。日本ではゆっくり骨休めしてもらいます。
息子も元気でアメリカでやっています。ほとんどのことは上手くいかないけど、44歳になって「そういうもんだから、上手くいくまでやり続けよう、失敗して、芸の肥やし。商社マンは男芸者(^O^)/」という境地にあるのは、負け惜しみかもしれませんが、新たなnirvana levelと言えるかもしれません。
うちもきれいに保たれていて、温かいし、お風呂も大きいし、家庭菜園もすくすく育っているし、すこぶる快適なんですが、居間に置いてある祭壇っていうのは自分的には墓なんかと違って、不思議なもんでどうも見ていると泣きそうになるところがあって、一日一回は手を合わせますが、それ以上はあんまり目を合わせないようにしてw、お風呂やシンクの掃除したり、一日二食家族のために畑で取れた野菜を使って料理したり、雨戸を開け閉めしたりして、うちにいる間は忙しくして過ごすこととします。
親父がくれた宮田工業のサイクリングシャツは、一旦祭壇に戻しておきました。二人で35年前くらいにミヤタでトライアスロンをやったのは今でもいい思い出です。今も会社にチャリで行ったりしています。サイクリングを俺に教えてくれて、ありがとう。
昨日は雪も降って、墓の中は寒いでしょうが、自宅待機期間が終われば墓参りにも行きますので、ゆっくり安らかに眠ってください。親父が残した家族は元気です。