COVID, Japan, Technology

いや、もちろん部屋の中にはいますよ。ただ、AIの技術検証という意味で少しだけやってみただけですが、どうでしょう、怒られるかどうか。

はじける笑顔。70年代のジャニタレ風。この写真を自分のスマホとは別のスマホかPCに保存して表示する
帰国者・訪日者居場所追跡アプリMySOS(アプリとして評価非常に低い)に、その写真を写す

これが出来るとなると、色々な「アプリケーション」は考えられますね。
もちろんやりませんが・・・

COVID, Japan, Silicon Valley

明日、21日にユナイテッド837便でSFOから日本一時帰国の旅に出ます。 ホテル強制隔離がクリスマスど真ん中23日〜25日ですが、、機内でオミクロン感染者が出なければ、その後寒川で自宅待機、1月6日から解除となります。 忙しくて事前に全然誰にも連絡出来ませんでしたが、、みなさん日本で遊んで下さい!

COVID, Education, Japan, Silicon Valley

アメリカは国内線はコロナ前と同レベルまで乗客数が増えているが、国際線はまだガラガラ

前回のポストで書きましたが、帰国便はUnitedのエコノミーでした。
端の3席に母・娘・父と座っていました。

無事に隔離ホテルに到着しました(12/22)
http://mosh-in-silicon-valley.tech/arrived_in_japan_20211222/

そこで、娘が笑顔でこう言ったんですよね。

日本、楽しみだね」

いや、食べ物も美味しいし、おばあちゃんやいとこにも会えるし、そりゃそうでしょと思われると思うのですが、これが衝撃で、とっさのことで、泣くに泣けず、合わせて微笑みましたが、、

9歳から12歳の多感な時期にアメリカに連れてきて、その間一度も日本に帰ることなく、アメリカに閉じ込めてきた、引っ張り続けて来た罪のようなものを考えると、目の前が真っ暗になったような、後頭部を鈍器で殴られたような気がし、その後ずっと機内とホテルの中でそれが残っています。

COVID禍があったので止むを得ないというのはあったのですが、自分のやっていること、その間、小学校で飛び級させて英語での小学校高学年から中学校での勉強、特に中学で格段に増えた宿題、学校での女の子ならではの人間関係など考えると、表現のしようがない気持ちになりました。

もちろん、いいこともあり、悪いこともあり、それが人生ですが、理論的に整理はできても、感情としてはまったく整理できない重い何か、

それでも短く、日本が楽しみだと微笑む娘、こう書きながらもまったくもって文字に起こせないですね。

COVID, Japan

かなりスムーズに東京は潮見のAPAホテルに到着しました。関係者に心より深謝です。

アメリカ➔日本の強制待機が特定州から「米国全土」にクリスマスの日から変更されることが発表された中、アメリカからに日本に(一時)帰国したい、必ず帰国しないといけない用事がある(今回の我々がそのケースでした)方はどのような流れになるか気になっていると思いますので、一例で特定地域・空港のケースでしかありませんが、下記します。

フライト:

SFO発。ANAが隔日でしか飛んでいない為、泣く泣くUnited(先日Chapter11を申請)に。スターアライアンスマイルでのビジネスクラスへのアップグレードというのは絶望的に使いにくく、生まれて初めて窓口で人前で真剣にFワードを使ったかもしれない。ただ、ユナイテッドは全体的に空港のカウンター、フライトアテンダントの方々はとてもフレンドリーだとは感じています。それでもエコノミーは席が狭く、シートが固く、お尻を中心に体が痛くなった。但し、空き席は結構あるので空いている3席を独占して、機内ではほぼ仕事のメールとレポート制作に時間を使う。

乗客は相当数(半分以上かな)が他国へのトランジット。日本帰国便の感じがあまりしない(=日本語があまり聞こえない) ここが一つのポイントと感じた。

すなわち、同乗の乗客の強制隔離期間中にオミクロン感染者が見つかると、14日待機となり、家族とも別れて(ここ含めて隔離ホテルの多くはビジネスホテルで、シングルかツインしかないので、我が家は母・娘/父と2部屋で離れている、もちろん日本にいる家族ともクリスマスと正月も分かれてというのもある)ので日本に滞在する同乗者が多いと確率論として14日待機となる確率が高くなるが、トランジットで他国に行く人々はトラッキングの対象ではないので、日本滞在者がかなり少なかった(25名くらいだったであろうか)このSFO-成田便において、出発前3日以内・帰国時にそれぞれPCRと唾液検査をしている中、オミクロン感染者が見つかる可能性は相対的に低そうだとは感じた。我々は一番最後の方だったので「同乗者に陽性者はいましたか?」と聞いたところ、いないとのことで、この3日後(到着日はカウントしない)の検査で陽性者が出ないことを祈るのみ。

到着後、成田空港内の検査など手続き:

そして、到着後ですが、私は7月にも父の葬儀の関係で一時帰国していてプロセスは知っていたのですが、ほとんど変更はなかったです。3時間くらいで終わりました。検査結果の発表に最も時間がかかったものの、これはテスター機械のスループットというよりは隔離先の調整に時間がかかっているとは妻から聞きました。

そして国内移動:

その後、陰性だと教えられ、出国手続きを通常通りして、荷物をピックアップして、再度隔離先に移動する人々で空港内出口で集合となりますが、行先はバスの中でしか正式に聞かされない。これはちょっと非人道的に感じました。子どもじゃないんだから。ただし那覇です、とか仙台です、とかって伝えると文句言ったり暴れたりする人がいるから最後の最後まで伝えないらしく、真偽のほどは謎ですが、心の準備もあるよね、、とは思ったものです。

とはいえ、誘導する担当の方にwhere are we going? と聞いたらシオミだと教えてくれました。(空港内で働いている方は外国人の方々がかなり多い)とはいえ、千葉の南端にも塩見があるし、Tokyo Shiomiかと聞いたら、そうだと。場所的には今回非常に恵まれていて、東京の東側で千葉に隣接した地域でもあり、成田から1時間ちょっとで到着。

バスで3時間待機というケースもあるよというのはGoogle Mapのレビューで見ましたが、今回はそれもスムーズ。中で働いている方々が非常に効率的に忙しく働かれていました。心より深謝。


今回のブログはここまでとします。3日間時間が結構ありますので、APAホテルについてや、もっとそもそもの部分とか、つれづれなるままにこの3日間書いていこうと思います。

Business Idea, Japan, Silicon Valley, Startup, VC

業界関係者必読です。(自分で言うな+お前らどうなんだ、という話は一旦置いておきましょうw)
ただ、オープンイノベーション、DXなどを志向するCVC限定の話であります。

以前に下記の記事も書きましたのでご笑覧下さい。

日本企業のスタートアップ投資あるある➜どうあるべきか
http://mosh-in-silicon-valley.tech/japan-corp-startup-investment/

ただ、記事がクソ長いw 今回は要点を簡潔に。

それは、担当者が本社側から自ら斬られる覚悟で自社を変えるべく動くことです。


これは、ヴェリー・ウェットな日本企業において強制部署異動や海外駐在員の場合は強制帰国的なリスクが伴う。

それでも、自分の会社が本当に好きなら、本当に変えたいなら、「逆命利君」(これは逆命利という名前の君付けではありません。若い人は知らない人が多くなりましたね。こちらご参照下さい)や「自分が斬られる覚悟」でいかないとダメです。

シリコンバレーでは結構顔が広い(個人的に顔が長いタイプでもあります)ですし、職業柄色々な日本企業の方とお話しますので、様々なケースを聞きますが、まぁなかなか日本企業は簡単には変わりませんねw
CVCは小規模に始めるところも多いですから、社内での声の小ささ、なんかももちろん関係してくるでしょう。

結局、ストラテジックなリターンが目的に含まれる場合には、会社変えないと、ロジック的に上手く行かないんですよ。理由は沢山ありますが、予算が小さい、本業がバカでかい vs. CVCが小さい、適切な進捗共有会議体設定になっていない、意思決定プロセスが長すぎ/複雑すぎ/あいまい、目的がそもそもあいまい、考えがドメスティックだ、関連するシステムの改変が大変すぎる、頭が固い、組織間の役割分担がめちゃくちゃ、KPIがない/実現できない/計測できない、本社側で現地のプロトコルが分からない、テクノロジー/イノベーションがそもそも分かっていない、社内政治が激しい、キャッチャー側のリソースが足りない、PoCゴールになっている、意味なく視察に来すぎる/対応に時間が取られすぎる、とかもう合計で10000回は社内外で聞いていますねw

全部ひっくるめて改善しようと思ったら、「元々の目的」である、「自社の考え方、ビジネスのやり方を変える」ということをやらないと上手くいかないハズです。(例えば、「じゃあ進捗報告会議を月次から日次にしよう!」として、新たな問題が出てくるのは目に見えているので)

そんな時に、ため息をつきながらでもいいので、覚悟の磨き方 超訳 吉田松陰(池田貴将著)を読みましょう。
下記はプロローグの抜粋です:


1853年、ペリーが黒船を連れてやってきた。ペリーは大砲三発を威嚇発射すると、江戸はまさに天地がひっくり返るような騒ぎになった。(=明治維新の始まり、幕末) 
 刀じゃ大砲に勝てるはずがない。日本はもうおしまいだ。武士から農民まで誰もがそう確信し、眠れない夜がつづく中でただひとり、西洋を追い抜いてやろうと意気込んている若者がいた。

 吉田松陰、25歳。
 兵法の専門家であった彼は虎視眈々と作戦を立てていた。だが、実際に黒船の大砲を目にすると、急にこんなことを思いはじめた。
 「これは勝てない」
 松蔭の頭の切り替えは早かった。
 彼はすばらしい戦略家だったが、こういうときはろくに計画も立てなかった。「動けば道は開ける!」とばかりに、小舟を盗むと、荒波の中をこぎ出していって、そのまま黒船の甲板に乗り込んだ。
 松蔭は生まれたときから空気のように存在していた「しきたり」を破り、行動をもって自分の信念を貫くことをよしとした。
 密航で捕まった後の松蔭は、江戸から故郷の長州藩萩へと送られた。そしていつ出られるかもわからない牢獄の中で、勝因はそこにいる囚人たちを弟子にすることになる。
➜松下村塾➜高杉晋作、伊藤博文、品川弥二郎、山縣有朋、山田顕義


時代は違うものの、GAFAやNetflixやTeslaなどなどがそれぞれの業界でどんどん(アメリカからに限らず、中国などからも)日本に進出してきている中(=黒船)、誰かが「黒船の中で即射殺されてもいいけど、日本を変えたい!」くらいに思って変えにいかないと変わらないってことです。(=松下村塾からは総理大臣2名、国務大臣7名、大学の創設者2名が輩出され、名実ともに日本を変えていった)

日本のミュージック界を変革した尾崎豊もバイクを盗んだので、時代は違っても小舟を盗まないといけない、ということです。

じゃあお前どうしているんだという向きがあるかもしれませんが、血まみれですw もうホラー映画並みか昔あった「あばれはっちゃく」並かと。だけどZoomでも何でも顔が血だらけだったら説得力あるじゃないですか。

正直なところ、苦しいし、眠れない夜も多々ある。
但し、過去もずっとこうだったので抗体はありますし、たとえとして適切かどうか知らないですが、最近の朝倉未来の(弱い相手の)ストリートファイトくらいの余裕はありますw


ただ、「斬られてもいい」と思いながらも、身を斬らせながら斬りに行った際に、こちら剣士側がデブでブヨブヨ、剣法にも精通していない、じゃダメですね。

だから、ここでも本からの抜粋ですが、松蔭のようにやっていかなければいけない。


 そんな情熱家である一方松蔭は大変な勉強家でもあった。
 旅をしながらでも本を読み、牢獄に入れられても読み続けた。
 それでもただ黙々と読むのではない。人物伝を読みながら、その人物の清い態度に号泣し、軽率な行動に激怒し、華々しい活躍に躍り上がった。


すなわち、CVC側はCVC側で本社から少し離れた分野・場所、少し高い見地などから勉強と情報収集を続け、ネットワーキングを続け、その人々から学ばなければいけないし、投資・事業開発において小さくても成功があればそれを関係者で祝い、文書化して、本社なり自らにサボタージュがあればそれを咎め、integrityを以って前進していかないといけない、ということであります。

その先に、投資におけるフィナンシャルな成功、事業におけるストラテジックなリワードが待っている、という構えでないと、結局数百年の年月を経て、制度疲労を重ねて衰退していった徳川幕府のように会社がなってしまうと考えます。

最後に、下記の松蔭の信念はCVCでも事業会社経営でも営業でもコーポレートでも何でもそうですが、私が部下含めて周りを巻き込む際に、常に考えていることです。

いつもめちゃふざけているように見えるかもしれませんがw、YouTuber活動なんかもこの一環であります。

巻き込まれた人はことごとく蛇蝎の如く私のことを嫌いますがw、ごくまれに「よくやった」と言ってくれる人もいます。
引き続きどうぞご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。
(今回もまた長文でした・・)


松蔭は「いかに生きるかという志さえ立たせることができれば、人生そのものが学問に変わり、あとは生徒が勝手に学んでくれる」と信じていた。

Japan

https://bunshun.jp/articles/-/49082

これは役所の犬だとか、自省の利益代表野郎だとか、バランスシート読めないアホだとか、衆議院選挙前の政権つぶしだとか、色々な逆批判あると思いますし、物事にはそもそも合理的な範囲で様々な批評があっていいと考えます。

だからこそ、私は矢野財務事務次官は極めて正しいことを言ったと声高に主張したいし、この内閣組成直後、衆議院選挙前のタッチーなタイミングで、逆にマスコミなどに取り上げられて政権側からの批判覚悟、最悪クビ覚悟でこれを言ったことに心より敬意を評したい。矢野さん、ありがとう。あなたは、本物の大和魂を持っている。

私は、米国会計士で統計士であり、数字を分析する限りにおいて、全面的に矢野次官のコメントを支援する。


この財政再建議論は実に複雑で難しい。マクロ経済学も当然関係してくるし、金融工学、為替も考慮に入れる必要がある。また単にお金の不足、赤字、借金、負債みたいな話に集約させようと思っても、国の一般会計のみならず、複雑怪奇な特別会計もあれば、国の中には中央銀行=日銀もあり、市中銀行があり、郵便局あり、そして国民がいて、その周りには他国がいてそれらが国債を買っていてる。

一連の資金のやり取り、年度における収入と支出の入り繰りが、BSとPLとして政府と日銀と国民と顔を変えながら、それでも国としては一つのものとして連動するので、頭がごちゃごちゃになりやすいし、話をぐちゃぐちゃにしやすい。

また、論点として矢野事務次官も氷山とタイタニック号の衝突(と暗示的に沈没)で比喩として挙げているとおり、 国家財政として破綻するかどうかの話になると、もうそれはひっちゃかめっちゃかな議論になりますねw

なので、矢野さんの論調には全面的に賛成なのですが、一点だけ言い方を変えたらいいのかなと思うのは「氷山に船がぶつかって沈むぞ」ではなくて「このままだとジリ貧、どんどん貧乏になるぞ」とか「このままだとナチュラルに国全体で二宮金次郎やることになっちゃうぞ」とかそこまでのプロセスを強調したらどうかなと。

これは悲しい目的地の話をするのか、そこまでの辛い道程の話をするのかの違いだけなので、同じことを言っているわけです。

というのも国が沈む論は、借金増大➜国としての信用喪失➜金利上昇➜悪いインフレ➜財政破綻 のシナリオですが、このロジックの途中で信用喪失するか、金利上昇するかは他国との相対的な関係もあり、パンデミックがまだまだ収まらないグローバルマーケットにおいて、経済の復興が各国ままならない中で、アメリカもトランプも民主党もどんどん財政出動して財政が悪化している中で、ムービングパーツが多くてなかなか論じきれないと思うのです。

イメージとして、ネットのコメント欄で「アメリカを見てご覧なさいよ」とか「クレジット・デフォルト・スワップ(CDS)の保証率見てみなさいよ、他国に比べてそんなに高くないでしょ」とか「同じくこの数値で、誰が破綻するって思ってんのよ」とか「他国に比べてこんなにモノが安いのにどの口がインフレ語ってんのよ」とかってコメント殺到するイメージ。(実際、ヤフコメなんかはそうなってるw)


ただ、ヤフコメに文句を言うことを目的にするでなく、当面の事象や個別の材料だけ取ってきて議論するではなく、こ難しい経済理論でごまかすのではなく(経済理論というのはそれが必ず正しければ、世界金融恐慌など起きないので、そもそも風が吹けば桶屋的なものだ)、本当に日本を良くしたい、もしくは、悪くしたくない、と思ったら、どう考えたらいいのか?という観点で基本に戻って考えたらどうなるのか?

この点については、本を以前に書きました。「君たちが大人になったら、残念です」

https://amzn.to/3BGkXXl

著書に書いたことの繰り返しにはなりますが、アメリカにもうかれこれ合計5年もいることも踏まえて、その観点も含めて下記します。


私が主張したいのは「日本が国として財政破綻するかどうか分からないけど(そんなこと誰が正確に予測できる?その点でみにくく争うのやめなさいw)、今もある意味そうだし、今後は、子どもや孫の世代にもっともっと貧しくなっちゃうでしょ」ということです。

これはみんな合意すると思うけど、日本は高齢者に金がかかる。社会保障で一般会計の約1/3。

そして過去の借金返済に約1/4! 

それらと税収がほぼ同額。

だけど、地方に渡す金、国防、教育などはまかなえない(!!)ので借金を続けている。

私は商社マンで、どっちかというとP/L、損益計算書志向なのかもしれませんが、ただ、ビジネスマンとして実務的なのでざっくりと上記のような感覚を持っています。

要するに、必要な金を稼げていない中、借金で回していたら、そりゃしっぺ返しは来るわねと。単純な話でしょう。

その考えにおいて、紙幣を刷り続ければOK!論者も私は理解できません。(下記にその理由の説明あり)

上記した通り、当面は国の中で回せる仕組みなんだけど、全部国の中で回しているわけじゃない(一部は海外依存)し、「国」って言ったって公のものとわたくしのものとあるので、完全にキレイに齟齬なく回せるハズがない。たとえば、借金の金利(=利払い)なんかは全部国民(=国民が国債の全部を持っている)とか全部日銀が持っている(=同左)なら「同じコップの中の話なのでOK派」の言うとおりになるけど、実際は国債の保有者の内訳見れば分かる通りそうなってないでしょ。

同じく「財政破綻しない派」は借金は国債でやっていて国の中でぐるぐる回っている金だから大丈夫!と言うんだけど、たとえば外国人が1割前後いるので、外人にはもちろん返さないといけないし、日銀以外の民間金融機関、郵便局や個人の保有者にも返さないとか利子を払わないという選択肢はない。そうなったらそれこそデフォルト状態だっていうの。

また、民間企業人として反省もあるのは、民間企業部門は世界の中で見るても、利益率が低く、生産性も上がっていないということ。だから上記したけど、「稼げてない」状況でもあるんですね。ググったら分かるけど、GDPも過去20年以上ほぼ横ばい。アメリカと中国のそれを見たら気持ちがいいほど、笑っちゃうほどです。アメリカにいて働いていると、働き方として、「これは中にいたら厳しいだろうが、これなら会社としては伸びるよね」という働き方していますよ。肌感として。

ということで、現状を続けていくと、ある意味今ももうそうなんだけど、これからどんどん国として国民として貧しくなっていっちゃうでしょう。

その最たるものが教育!!!!

教育に金がかけられないので、学校にコンピューターがない、Wi-Fiがない、世界大学ランキングTOP50で下の方に東大にいて、京大はそこに入りもしないみたいなことになるわけでしょう。

私は、これが、国にとって一番まずいと言っています。

Stanford大学、INSEAD大学、Illinoi大学、中央大学で勉強してきて、米国公認会計士、統計士、Project Management Professional、SAPコンサルタント、TOEFL/TOEIC、カラーコーディネーター、中国語、韓国語などもやってきて、うちの娘は今小6で英検1級受けていますが、教育と勉強にまさるものはないのです。

こんなことは福沢諭吉の時代から言われてきているわけで19世紀から、もしくはもっともっと前からまったく変わってないわけです。

これに、消費税などの増税が重なり(=これも、私が「貧しくなる」と言っている文脈の一つです)、さらに可処分所得が漸減していくことも大いにあり得うる中で、「失われた40年」とか「失われた半世紀」という未来が煌々と見えてしまうのは私だけでしょうか。

そうすると著書に書いた通り、海外で勉強しよう、国外で働ける「オプション」を手に入れるために、という思考回路になってきますが、円安だとこれも相当にきつい。
たとえば、私が初めてアメリカに留学した時には1ドル=150円近かったですが、本当に資金繰りは苦しかった。私らの子どもの世代にそういう目には決してあってほしくない。(ちなみに、私の娘はアメリカでの学校生活を経て、「中学と高校は別として、大学は絶対にアメリカがいいね」と言っています。教育の質がアメリカは違います。)

国防については、私の中では優先順位は高くないんだけど、国の基礎であることは変わらず。高市早苗氏は矢野次官批判しているようだけど、高市さんが大切にしている国防はどっから原資を出すのよ?

また、矢野次官について財務諸表が読めない、右と左が分からないとか言うのやめれw ちょっと調べれば分かるけど、一橋の経済学部出て、大蔵省、ハーバード大客員研究員で簿記をやっていないはずがないだろうと。たいしゃくたいしょうひょうに右と左があるのは簿記三級で習うんだから早い段階で学んでいるハズで、彼が反論できないのをいいことに、好き勝手言うのやめい。そういうのを卑怯と言う。

岸田内閣発足した時に、財政緩和するよ、バラまくよと言ったけどその通りになりつつある。河野さんだったらどうだったか? 自民党なら誰でも同じなのか? 多分そうだと思う。

立憲もバラマキ政策をうたっているので同じようなものなのかも知れない。

繰り返しだけど、バラマキ政策⇔得票のロジックで与党が作られ続け、さらにそれが比較的短期政権で繰り返し交代していくようだと、本当にこの国の先は暗い。(それは、すぐに破綻するという意味で言っているわけではないです、あしからず)

増税を避けないで議論して「財政を徐々にでもいいから健全化の方向に進めていきます、みんな苦しいけど頑張って来る数年やっていきましょう」と胸張って言える政治家が出てこないと、子どもの世代が不幸になる。

この点は、結局投票して政治家と第一党を選んでいるわけで我々国民も意識を変えなければいけない。

「失われた30年」を経て、今でさえ貧しいでしょう?という人は見立てとして正しいと思う。これもググったらすぐ出てきますが、涙でディスプレイが見れなくなるものの、20年超を通じて労働者平均所得は『減少』しています。

そういう意味において、私は日本については軽く絶望している。

アメリカも色々な問題がある。たとえばこの思いっきり民主党寄りの州であるカリフォルニアにおいて、選挙日前日に主要道路を何マイルにも渡りトランプ支持者の車で埋め尽くされたこと、何度言ってもワクチン接種が進まないこと、全然銃の保有が減らないこと&銃撃がまだ起こること、大学教育が異様に高いこと、格差が大きいこと、アジアンヘイトもまだだあることなどなど。ただ、この国は二大政党制だということもあり、移民も多く、何より大学教育が充実していることから、変化が「起きやすい」(必ず起こるというわけでもない)という構造にある。

日本は、それが望めるのか。

Japan, Silicon Valley

YouTubeでの投げ銭機能(Super Thanks)が日本ではリリースされましたがアメリカではまだですね

私のような弱小YouTuber(ジンファンデルチャンネルというチャンネルを運営しています)にとっては、どうにかマネタイズをしたいと思うところで(1000名チャンネル登録者がいないと、広告収入がはいりません(涙))、

さらに広告モデルについてはシバターかDaigoか別として炎上商法によるマネタイズの是非がある中で、日本ではYouTuber(アメリカではcreatorと呼ぶことが多いですね)に対する投げ銭(「Super Thanks」)の機能が実装されましたね。(これはスーパーチャット、スパチャとは異なり、ライブ配信のみならず普通の録画動画に投げ銭ボタンを置くことが出来るものです)

このブログではアメリカの状況を報告するのがメインですが、本件は日本が先行のようで、日本のサイトで試してみました。

当該昨日は世界各国で随時リリースとのことではあります。

私がいつもパン作りでお世話になっている「完全感覚ベイカー:独学でパンに挑む人へ」(15万チャンネル登録者)で、本当に役に立つカレーパンの作り方の説明がありましたので、些少額ですが、Super Thanksしてみました。

いつもの通り、決済は非常にスムーズで、かつコメント欄に名前と貢献額が表示されるので、ちょっと誇らしくなりますね。

動画の下にSuper Thanksボタンがあります。少し分かりにくいかも。
選択式になっています。
いつもの通りの流れですが、以前スパチャを88risingのオンラインコンサートでやったことがあるのでクレジットカードを覚えておいてくれています。
で、終わったらコメント欄のトップに今回の投げ銭が表示されています。
「Thanks!」というコメントは編集できなかったような気がします・・・
Diet, e-Commerce, Japan, Silicon Valley

Tried Activital socks and could run 10K!

I used to run a lot because I was into triathlon and marathons before.
You can see it from below my “Okay, I come back to my parents home running all the way” record.

But I haven’t run/jog long distances for a long time…

In warm and comfy California, I just chill in my home…

Then gradually over past months, I have gained weight……

Trust me, as a triathlete, I bike for sure, more often than jogging because my gears of cycling are perfectly complete.

And one reason I shy away from jogging was with my old running shoes I didn’t have good socks to fit which makes me confident to run 10K for example without any pains or blisters on my feet.

To left to right:
Five-finger socks may look good, but they give you pain between fingers
Cycling socks are no good for jogging
Ancle-fixing type is not flexible when you don’t have any injury
Usual ones don’t have “grips” at the sole and your feet moves inside shoes and eventually blisters etc.

But I found “Activital” socks with a lot of design innovation derived from Japanese socks and functions to support my feet!

Perfect fit with Large size
You can see some “gripping” structure on the soles

Okay, let’s hit the road.

As was expected, both of my knees hurt…
And as my legs felt some pain, I changed parts of my sole to focus on. But those socks gave me perfect fit and my feet didn’t move inside the shoes which is desirable when you long-run.

As my jogging was slow as it was a first long-run in a long time, it got darker on Foothill road… but the socks supported me all the way along.

The socks gave me courage and support to run 10K for the first time over one plus year without any pains or blisters on my feet.
I will keep on running with them, at least to bring me back to the desirable weight.

Japan

父が他界しました。享年69歳、若すぎる死でした。私の誕生日の前日で、祖母の命日でした。
介護施設で脱水症状を起こし、急死でした。
急報を受け、アメリカの旅行先から必死で航空券を探しましたが、東京五輪にかかるこの数週間分はまったく見つからない。
どのみち、帰国できたとしても2週間隔離であり、葬儀には参列できない。

悲しいやら、情けないやら、憤りやらで、涙が止まりませんでした。

父は、多才な人でありました。

自転車製造企業でデザイナーをしていて、80年代より製造業におけるPCでの工業デザインが始まり、コンピューター全般に興味がある人でした。
1983年頃にファミコンを買ってきてくれて、小1の自分はそれが何だかも知らず、近所の友達も知らず、ソフトも「テニス」「ピンボール」「マリオブラザース」くらいしかありませんでしたが、我々すぐにそれにはまりました。但し、それ以降ソフトをまったく買ってくれず、次第に飽きて、その後の86年販売開始のドラクエをはじめとしたブームにはまったく乗れなかったのを覚えています。けど、それにより我慢することを覚えました。(クラスのみんながファミコンソフトの話をする中で結構つらいものはありました) 私が今は親として子に接していますが、倹約の大切さは身をもって(要するにケチ)伝えています。
一方、ドラクエが出た少し後に父がワープロを買ってきたので、私はそれに没頭しました。ただ、ディスプレーが1行しかなく、文章を書き連ねることは出来るものの、将棋盤面なんかを作ろうとすると至難の業で、それが逆に面白かったのです。
さらに、88年頃には画面上何十行もあり、機能も激増し、ファイルをフロッピーディスクに保存できるワープロを買ってくれて、何百時間もそれに費やしました。それでも主にテキスト編集しか出来ないのですが、画面上簡単なレイアウトが比較的容易に組めるようになったので、学級通信を小6で作り始めました。その当時、小学生がワープロで作る学級通信は非常に珍しかったと思います。
父が初期のMACを買って来た時には、ユーザーインターフェースはそこそこ2台目のワープロに似ていたものの、もう私にはお手上げで、それを使ってデザインをする父はすごいなと感じていました。
家にはバカボンのパパがスーパーコンピューターをはじめとしたテクノロジーを語るという謎のマンガがあり、意味がさっぱり分からないものの、穴が空くまで読み尽くしました。

運動神経も非常に良かった。
夏は週末はしょっちゅう会社のプールに連れて行ってくれて泳ぎを教えてくれました。その上、3人の子どもがいて家計が苦しいのに(ちなみに、母は家計簿を毎日一円単位でつけていて、収支はオープンにしていました。私はそれを見て、20代で米国の公認会計士になりました)茅ヶ崎にある湘南スイミングスクールに通わせてくれました。ただし、父は自転車会社勤めでしたから、私のスイミングスクールへの寒川〜茅ヶ崎間の数キロの往復はもちろん自転車でした。スクールはかなり厳しく、プール後の冬の帰宅も寒くて辛かったですが、上級コースに招待されるほどには上達しました。何よりガッツがついたのがその後の人生として一番大きかったかもしれません。
自転車会社ということで、展示用の型落ち最新版の自転車を何年かに一度家に持ってきてくれるのは、当時の私の人生の中で最も嬉しいことの一つでした。小学校ではMTBを、中学ではフラットバーロードを、高校ではロードレーサーを、それぞれ与えてくれました。
そのMTBと水泳力で、小学5年生の頃に会社のトライアスロン大会に父と出ました。大人の中でも父と私は水泳はトップレベルで完泳しましたが、そこは自転車会社、ロードレーサーに乗った自転車好きの社員たちにぜんぜんかないません。宮田工業から江ノ島に向かうはるか手前で(おそらく茅ヶ崎第一中学校のあたりで早々に)全員に抜かされ、その後離されすぎて、ランは予定時間内に終える見込みも立たなくなって、コースをショートカットして(要するにズルして)親父とゴールしました。子どもの中ではそれでも2位でしたが、そもそも子どもの参加者は二人だけでした。ただ、大人になってからは何回かトライアスロンとマラソンを完走することが出来ました。一度、70kmちょっとを浦安から走って寒川に帰省に行ったこともありました。

自らが会社の野球チームでプレーするところを見せてくれたり、私が小5で始めたバスケも1 on 1に付き合ってくれたりと、運動神経が良くない私をスポーツの世界にいざなってくれたのは父であり、私はどんなスポーツも総じて並以下でしたが、そこで身につけたガッツと体育会系の考え方、処世術、継続的にスポーツと運動をする所作、そしてクラブ活動の中で得た友人は人生の中でかけがいのないものとなりました。

楽器も弾け、ギターの腕前はなかなかのものでした。
ギターはアルペジオも弾いていたので、今の私より上手かった。ただ、歌は好きだったものの、非常に下手でした。それにも関わらず、「カラオケスナックで飲んでいるので、迎えに来い」と僕が大学生の時に深夜に電話してきて、店に行くと、下手な歌を聴かせ、挙げ句に「こいつは歌は上手いから歌わせてやってくれ、酒も出してやってくれ」とミイラ取りがミイラになるようなこともありました。私は高校ではバンドでギターを弾くようになり、今も上手いかどうか別としてYouTubeでギターの弾き語りをアップしてYouTuberの真似事なんかをしています。

父は海外志向もあり、英語も勉強していた。
父の会社はMTBのブームに乗り、ロードレーサーの方ではツール・ド・フランスのスポンサーシップなどもしていて、自転車の海外生産も増え、それに合わせて英会話や英単語を一生懸命勉強していた。わたしも父の英語の本は小学生の頃から読んでいた。父は大人になってから勉強したこともあり、なかなか英語が出来るようにならなかったので、私は早いうちからやらなきゃいけないと思い、中・高と真面目に勉強し(ちなみに私は高校の成績は学年で下から10番くらいで他の教科はまったく勉強していなかった)、大学でアメリカ留学、社会人で再度アメリカ留学、その後アメリカ駐在することとなった。
父の会社でZで始まる自転車を発売・マーケティングする際に、二人でああだこうだ商品の名前の候補について議論したのもいい思い出。

将棋は、私は父にほとんど勝てなかった。
父は特段こだわりなく、居飛車・相掛かり・三間飛車・四間飛車・中飛車、棒銀・雀刺し、美濃囲い・矢倉囲い・穴熊を幅広く指し、私は駒の動かし方から父に教わったので戦術や囲いは父のコピーでしたが、父が買っていた中原名人らの本を読んで定石をどれだけ勉強しても、勝てない。一度あまりに腹が立って、将棋盤を父に投げつけたら、非常に怒られた。
結局私は一番身近な父にも勝てないので、「観る将」専門になってしまいましたが、藤井二冠、羽生元七冠の対局を中心に、仕事の合間に棋譜や解説動画を見ることで非常にいいストレス発散になっている。

  

ただ、全体的に父はかなり自由な人で、家族は、特に母は振り回されてきたところもある。(私は朝3時に茅ヶ崎警察署から運転関係で捕まった父を引き受けに行ったこともあります)
私は就職してからは千葉に住み、そこで結婚して、その後アメリカに駐在したり、父が徐々に痴呆症を発症したりしたこともあり、距離を取っていたのも事実です。

こんなどうでもいい父と子の話は、他人にはまったく役に立たない情報で、インターネット上の泡沫でしかないですが、私の人生にとっては大きな部分を占めています。

スティーブ・ジョブズが演説で言った「人生は線であらかじめ結べない、だけど点と点が後からつながるんだ」というのは父との関係においても本当に強く感じることであり、人生の座右の銘となっています。

たとえば、娘は菓子やデザートを作るのが好きなのですが、私はパンを焼くのが好きで、そういうこともめぐりめぐって父に感謝したりするところもあります。


航空券の目処が立たない中、呆然としながら、精神的に追い詰められながら、こんなことをずっと考えていました。(一部はこうやって書きながら思い出すこともあり、人の記憶は面白いものだなと思います)

上記の通り、自由な父に対して母は苦労してきたので、一刻も早く帰って、葬式を長男として取りまとめて、母を楽にしてやりたいというのが今回根底としてあった。ただ、それは今回かなわなかった。

涙も枯れた頃に思ったのは、そもそもの「人が死ぬ時の悲しさ」で(祖母も祖父も皆亡くなってしまっている)、日本で言うとコロナで亡くなられた方々が約15000人いて、その家族の人数はその数倍いるので、人の死によりどれだけの悲しみがもたらされただろうかと。

そんな中、東京五輪の関係で海外在住者は帰国の航空券も取れず(一部期間は政府が入国制限までしているとのこと)、それにより親の葬式にも出れず(そもそも航空券が取れても、日本政府が「2週間隔離者位置確認アプリ」の利用を義務付けており、物理的に葬儀に出れない)、感染者が多かれ少なかれ日本国内で間違いなく増える(もう実際増えている)オリンピックは何でで今やる必要があるのかというのは、当事者として強く感じました。

安倍元首相時代の何が何でも一年延期論(なぜ安全サイドを取って二年にしなかった、プロジェクト管理としてリスク管理は当たり前で、そんなコモンセンスもない)、菅首相の強硬論とそれを中心とした一貫しない政策(なぜIOC、バッハと正々堂々と交渉をしない?これが民間企業なら当たり前だろう)など国民として納得できる部分がほとんどない。
そもそもが日本国民のための日本の政治家、なんじゃないのか?!
実際に人が死んでいるんだぞ、と。

また、ミクロ的な話としては、脱水で人が死ぬ、というのはよっぽどのことで、父が入っていた施設においてコロナ対応で入居者に対するオペレーションが疎かになっていたんじゃないか、そんなことも頭をうずまく。ガッチリとした体型の父は、亡骸では50キロを切り、驚くほどやせ細ってしまっていた。

アメリカにある日本の役所は役所で、航空券が取れてなければ(それを最短でやるために各社と交渉していたが、7月は最終週近くまではチケットが払底している様子だった)相続手続きに必要な証明書の予約は取れないだとか、死亡証明書を持って来いだとか(長男が日本にいないので、母も次男も葬式の準備などで忙殺されている)、アメリカの役所自体はもうほぼ正常化しているのに、コロナ禍の「どんな手続も予約必須、なので予約一杯で緊急予約したいなら、自ら必要性を証明せよ」とかっていうのは、もう海外にいる日本の国民のためのルールなのか、ルールを守るためだけのルールなのか、あまりに腹が立って、一気に頭の中が沸騰してしまい、途中、感情のバランスを崩してしまったのもあった。

結局、本来は、安倍元首相も菅首相も役所も、日本でもアメリカでも、日本人が日本人の健康と幸福のために働いているんじゃないのか?? もう色々なことがボタンとしてかけ違っている気がする。

棺に入った親を、リモートで、画面越しに見送った時に、もうどうも表現できないくやしさ、悲しさに襲われ、画面の向こうの母、弟、妹、親戚らに何と言っていいのかわからないし、こちらでは横に妻と娘もいて、泣いている。

父との思い出だとか、母の泣き声とか、自分の涙だとか、もうどう整理したらいいか分からない。

  

ただ、父が安らかに眠り、兄弟3人で母をこれからも支えていけますように。

日本がいつか正常に戻り、皆が健康で暮らせますように。

日本が皆が暮らしたいと思えるような国になりますように。

Japan

毎日を楽しく過ごす

鈴木です。現在シリコンバレーで暮らしています。

別途、私のFacebookでつながっている方やYouTubeチャンネルをご覧いただいている方は「ああ、Moshがまたバカなことをしているな」とお感じだと思いますが、これには一つ(全部ではないのですが)理由があります。

いつか日本に帰る日が来るとして、特に今年の後半の日本は残念ながら非常に暗い雰囲気と精神的なカオスが広がると考えています。

同僚にも会社で言っているんですが、こうもIT・デジタル系のビジネスは競争が寡占化+その他はスタートアップ中心として超高速化、そして全体的に資本が集中しているので、「少し先のことを見ていく」ことは非常に重要です。

(ちなみに、かなり先の日本についての予測は、拙著「君たちが大人になったら、残念です」に記載しております)

「少し先」のこととして、今年の後半に目を転じたとすると、

  1. 東京五輪の終了
  2. コロナ感染者の増加
  3. 衆議院解散
  4. 自民党の勝利
  5. 停滞感と憤りの敷衍

のそれぞれがほぼ間違いなく起こる。

  1. は政治判断で開催されそう
  2. は緊急事態宣言と国民の努力+ワクチンの若干の普及(執筆時点で7%程度)により減少中→まん防でさらに減少=新規発生の絶対値として五輪前に相当に低い水準に落ちる
    ➜東京五輪により多かれ少なかれこれが増加。(直因としてインド型・デルタ型が寄与する可能性も高い:但し世論として東京五輪のせいだ、となりがち)
  3. コロナが落ち着いてからでしか政治的に物理的な選挙を行えず、2の後になる
  4. コロナ感染者の増加は与党の政策(古くはGoToトラベルも)に拠るもの、政治とカネの問題、安倍政権時代の嘘などが野党とワイドショーなどであげつらわれるが、立憲民主党は選挙になれば民主党時代の体たらくや、党全体の「人には言うけど自分はしっかりやらない」という体質や直近のスキャンダルなどが逆に挙げられて、さらに現在の6%程度の政党支持率ではひっくり返せない。
    ➜結果的に、非常に消極的に自民党が第一党として再選される

その時に我々の胸に去来する、(絶望感とは言わないまでも)停滞感、憤りは大変なものとなるでしょう。

選挙の結果とはいえ、何でこんな選択肢しかないのか、

そして、今後の日本は本当に大丈夫なのか、というより、やっぱりダメなのか、という気分が人々の首を真綿で締めるように充満していくことでしょう。

いつもYahoo!ニュースなんかに、毎日起こる政治的なスキャンダラス、東京五輪にまつわる、総理大臣、自民党幹事長、五輪大臣、都知事、IOCの無責任なコメント何かが出て、ネット民がそれに反応して、という流れで毎日が過ぎていきますが、「ちょっと先を見た」場合に、高い確率で上記のような暗い状況になるんじゃないかなと残念ながらアメリカの地から思っています。


となった時に、別途ひろゆき氏も言っていたように、特に政治に対して出来ることは現実問題として投票行為以外にないんですよね。

だから、毎日、個人レベルで楽しんでいこうと。
その中から見つかることが、ビジネスなど含めてきっとある。
こういう状況の中で、旧態依然とした日本軍的なビジネスのやり方をしていてもどうしょもないとも思うんですよ。
少し肩の力を抜いて、それでも刃を研ぎながら、毎日を過ごしていこう。

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