Education

43歳になりました。娘へ、マルチタスキングについて。

43歳になりました。早い。7時に起きて(=40歳)朝ごはんや、歯磨きや、髪や、洗濯物などなどバタバタ同時にやっていたらあっという間に8時(=43歳)になってもうまた出掛けなきゃ、的な。この喩えは分かりにくい。

では、下記はビジュアル的に分かりやすいかなと。77歳まで生きるとすると、今こんな感じです。△は定年後、みたいな。◎はアメリカで過ごした期間です。
●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●
◎●●●●●●●●●
●●●●●◎●●●●
●◎◎○○○○○○○
○○○○○○○○○○
○○○○○△△△△△
△△△△△△△

43歳の抱負としては、やっぱり商社マンとして・ビジネスパーソンとしてビジネス・事業を作っていきたい、というのと「ひとかどの人物」になりたい、特にアメリカで(特に今回3回目の挑戦だということもあり)っていうのがありますね。

ただ、上記のようにもう老い先が長くない(?)こともあり、相対的に娘の将来について強く意識するようになりました。だから今年は娘へのメッセージという形で「マルチタスキング」のお題でつれづれに書きます。(ちなみにロングバージョンは「君たちが大人になったら、残念です」という著書としてAmazonにてお買い求め頂けます。 https://amzn.to/2WpV5N0 ステマ?)


誕生日の前に、夏休みとして何日かLake Tahoe湖畔に行き、近くのモーテルに泊まって夕食を食べていた時に、君は英語で「何か一つのことをやっている時に、大人上かぶせであれやれこれやれと言ってくるのがとても腹が立つ」と言って、私がそれに「そりゃ、間違っているよ」とかぶせて、それっきりお互いしばらく口をきかなくなりましたね。

パパは、まだそれは間違っていると思っていて、下記はその理由です。

子どもの頃からパパは、やりたいことを詰め込んで詰め込んで、結局何にも消化できずに口に詰め込んだものをゲロゲロ吐き出して、ひょろひょろしているようなアホな子どもでした。


高校生の頃はバンドでギターをやって、それはそれは相当練習しました。Ozzy OsbourneのRandy Rhoadsとか、少なくともDeep PurpleのRichie Blackmoreみたいに弾けるようになりたいと思って指に文字通りタコが出来るまで何時間も練習しましたが、結局本番ではユニコーンのMaybe Blueもろくに弾けなかった。。

部活のバスケも結構ハードで、毎日4時過ぎから19:30まで練習があって、終わってから速攻で着替えて、シャワーも浴びず(!)、チャリで飛ばして寒川のコンビニで深夜までバイトしていました。バスケは3年生の時にはほとんど試合に出れなかったし、コンビニ先ではイケメンの先輩に彼女を取られて、それでバスケの練習中に体育館で泣いていたこともありましたw

そんなこんなで勉強には手が回らず、200人ちょっといる学年で、下から10番目くらいの成績でした… 

だけど、将来に絶対に「インターナショナルなビジネスマンになりたい」と当時から思っていて、英作文の勉強だけは自分でやっていました。
問題集見て、例題の日本語から英文を作って、回答例と照らし合わせて違うところを確認する、というインターネットもスマホアプリも無い時代の地味〜な作業でしたが、ひたすらそれを繰り返します。
「ゆっくりでも書けるようになれば、そのうち速く・正しく書ける。超速に書けるようになれば、ゆっくりでも喋れるようになる! そのうちペラペラに喋れるようになる!!」というのが当時の仮説でした。

それで、時はめぐり、25年後。今でも奥田民生の「息子」ですら弾けないですし、ハードにバスケするほどの体幹力も無い(そもそもバスケに必要なジャンプ力が全然ないのが致命的)、アーティスティック・アスレチックな側面がまったくないおじさんになってしまいましたが、その時に稼いだバイト代などで大学の時にアメリカ留学できて、その経験もあってか、30代で会社がスタンフォード大に留学させてくれ、40代の頭で再度アメリカでベンチャーキャピタルで働くことが出来ています。

「だから点と点とは結べない、後ろを見ても…」というのは最近結構ありがちなclicheになってきてはいるのですが、パパが思うのは、「もう吐く!」っていうほど口にものを詰め込んで、さらに全速力で走ると、当然涙目になって、そのうちキラキラとしたゲ○が出てきてしまうのですが、そのすりガラスのような視界の中に自分が本当にやりたいことの光が見えてくる瞬間がある、ということ。

こう、何で走ってたのか、何で自分の服が○ボでびちゃびちゃなのか、シャワー浴びた後に「何で走りながら食ってたのか」というような素朴な質問が頭に浮かぶんだけど、一生懸命、「もう無理だ」って思うほど複数の皿を回してみないと見えないことってあると思うんだよね。

そこから人生の優先順位を決めていけばいい。
メディアに出てくる成功者は、スポーツ、芸術、音楽なんかの分野で若いうちに始めて成功しているから、どうしてもそういうパターンの成功を思い描きがちだけど、「どの分野に才能が自分に備わっているのか」というのを神様が教えてはくれないので、確率論的には(パパはちなみに統計士です)いくつか・いくつもを高速に試してみるのが最も良い。今の世の中、あきらめは早くてもいいと思う。
ただ、果敢に、ひたむきに努力する人間になってほしい。

これは、言うほど楽じゃないし、やりたいこといくつかあるけど時間が有限だっていうのは相当なストレスでもあるし、そもそも結構失敗するし、悔しい思いも沢山するんだけど、そのプロセスを生きる中で楽しんでほしいと思って、君に「真歌」という名前をつけたんだよね。

人生における真実を探す旅を、歌を歌うように楽しんでほしい。

父もね、そういう意味で、今でも深夜・早朝に半泣きで食パン焼いてたりするけど、「パパは新しいこと、人生でやりたいことの追求をしてるんだ」って思ってもらったら。
夜ワイン飲むときの酒のお供がほしい、っていうだけでもあるんだけどw

43歳のパパからは以上です。

Leave a Comment

Bitnami